最近の出来事

ブログを書いてアクセスが増えて収入も入っちゃったりして

そんな生活が出来たらいいなー!

でもその為には方向性の定まったブログを書かなきゃ、と力みすぎて書けなくなったよね。

案ずるより産むがやすし。

とりあえず継続して書くことから。

 

ここ最近の一番大きな出来事は母が亡くなった事。

自殺でした。

それだけでも結構な衝撃だったにも関わらず、莫大な借金も発覚して

相続放棄の手続きをすることに。

親族は以前から母に甘えて何もしない人たちばかりだったので、

今回の手続きも案の定こちらが手取り足取りする羽目に。

もう死に物狂いの数か月でした。

今はやっと落ち着いてきたからか、母が亡くなった悲しみや

親族への怒りがぽつりぽつりと出てきました。

うーん、大変だった。

 

正直、母との暮らしも限界を感じていたし、

母が良くなる、もしくは生活環境が少しでも良くなるというのは

もうどう考えても思い浮かばなくて、

正直いつ死んでしまってもおかしくないし、

その日はいつやってくるのかと怯え母の顔を窺う日々。

私も限界だった。

 

母が亡くなった今、悲しみはやはりあるものの

不思議と解放された軽さも感じていて

これからの自分の人生

今まで家庭に縛られていた分、どうせなら身軽に楽しく生きたいな。

 

母が亡くなって、

生前あんなに感じていた恨みや憎しみは煙のように消えていった。

これからの人生の不安が消えたからかもしれない。

逆に、母に育ててもらったこと生んでもらったことに感謝する時間が増えた。

 

苦しい苦しい人生が、母が死んだ事で終わった。

本当に苦しかった。

母も苦しかったのだろう。死んでしまうほど苦しかったのだろう。

私はこれからの人生を自分のために生きようと思う。

だからお母さんも、次に生まれ変わった時こそは自分のために生きてね。

 

そんな感じ。

 

おもいで

時々思い出す

家庭に笑顔があった時代の事

親の愛を感じた瞬間があった事

 

きゅっと胸が痛くなる

あの幸せはどこに行ってしまったのだろう

今は顔つきも変わって

笑顔のない家族

 

ふと過去を思い出しては

幸せと切なさがないまぜになった気持ちを味わう

思い出せば、少しでもあの頃の幸せを感じることが出来る

 

思い出って生き物だなと思う

どんなに今が悲しくても、楽しい幸せな思い出はふわふわと自分の周りに浮いていて、いたずらに頭に入り込む。

その思い出の中では幸せはまだ生きているのだ。

柔らかな顔で笑う母は生きているのだ。

 

いつか現実でも見れたらいいのにね

かぞくの事

あまりぐちぐちした内容のブログは書きたくないな、と思いつつも結局家族の話になってしまう。

 

母が怖い。自分の人生を娘に背負わせ、自分の思い通りに事が進まないと「死ぬ」と脅してくる母が怖い。

妹が怖い。自分の不幸は全部お前のせいだ、と怒ってくる妹が怖い。

どうしてこんな思いをして生きなければならないのだろう。

もう人生の半分以上の間、病気の母親に振り回されて生きている。

 

人生ってなんなんだ。母親の人生を背負って生きるのが人生なのか。

「私の不幸はお前を生んだこと。こんな親不孝な子に育てた私が悪かった。子育てを失敗した。」

「お前さえいなければこんな人生じゃなかったはずだ」

こんな事を言われてもなお、親を支えなければならないのか。

 

今はただ、「私は私、人は人」をお題目のように唱え、自分の人生が前を向いていくように日々頑張るしかない。

私も楽しく生きたいよ。

霞んだ向こう側

年に数回、たまらなく孤独を感じる時がある。

今はちょうどその時期なのかもしれない。

まあよくよく考えたら今年は厄年だし、

おまけに四柱推命では「停止」だしな。

多少の困難は仕方がない時期なのだろう。

 

ただね

ろくに働いていないの買い物ばかりして、お金が無くなったら

私の学費がかさんだせいでお金がないと怒り狂う母親に、

母親がつらいと泣きながら相談してくるくせにアドバイスをすると切れてくる兄弟。

「話を聞くよ」と言いながら、話をしていると不機嫌になってなにも返事をしなくなる彼氏。

お前らなんやねん。なんやねん。何がしたいねん。

抱えきれんわ、そんなにようけのお荷物は。

自分ひとり生きるのに精いっぱいよ。

 

人は一人で生きたほうが楽なのかしら。

支え合うというのは幻想なのかしら。

 

もし、人がその生を何も苦しまずに終えられる方法があるとしたら

きっと多くの人は簡単にそれを選んでしまうのだろう。

それほどになんやかんやと生き辛い世の中だ。

人生は修行だという人もいるけれど、私は心穏やかに暮らしたい。

生まれた時から修行だらけの人生だったから、もう十分。卒業します。

 

神様お願い、安息の日々をください。

傷つけてこない家族を、自分勝手に怒らないパートナーを、

自分を責めなくてよい日々をください。

神頼みなんて都合の良いことしてごめんなさい、でも十分自分で努力はしたつもり。

少し休んだらまた頑張るから、ぼろぼろの今だけは、

他力本願で自分の幸せを願わせて。

 

欲しい欲しい

物欲と私

物を買うのが好きだ。

化粧品、本、画集、スケッチブック、レシピ本etc...

「いいな!」と思うものを見つけると、手に入れるまでその物の事で頭がいっぱいになってしまう。

 

あのコスメがあったら毎日ウキウキするだろうな。

限定物だし、あとで後悔したくないな。

この人の絵は素敵だから、画集を手元において参考にしたいな。

この本があれば色んな料理が作れるようになるかも!

 

気持ちを落ち着けようとするも、たいてい失敗。そして始まる「買おうかどうしようか」

あぁもやもや。

 

結局、我慢したところでいつかまたその気持ちをぶり返して買ってしまうことが多いので、最近は無理のない範囲であれば購入して素直に楽しむことにしています。

 

でも中には購入してもしっかり読まない本だったり、結局使わない化粧品だったり、白紙のままのスケッチブックがあるのも事実。

さらにはそれらを眺めて、「無駄な買い物しちゃったかも」と自己嫌悪することも。

挙句の果てに買い物依存症の母親と自分を重ねて苦しくなったり。

お部屋は物だらけ。すっきり片付かない。

化粧品も、レシピ本も、画集も、スケッチブックも十分あるのに買ってしまう。

貯蓄ももちろんはかどらない。

 

あれ?せっかくお金を払って楽しもうと思ったのに、なんだかお金を払って嫌な思いをしているような…。

そう思うことも最近は増えてきました。

そもそも、「欲しい」と思ったものって本当に欲しいものだったのかな。

 ひょっとしてその後ろに別の気持ちが隠れていないかな。

 

そこにいる自分

その気持ちの正体はきっと「自己否定」

 

 今キレイじゃないから人気のコスメでキレイにならなきゃ

絵がへたくそだからうまくならなきゃ

料理ができる彼女にならなきゃ

「今」の自分がだめだから、道具を使用して「良くならなきゃ」

 

でも結局それは自分の自分自身の認知の問題。

物を買い足したところでいつまでも埋まらない心の穴。

それになんとなく気が付いてきました。

 

ありのままの自分で大丈夫。

もう大人なんだから、自分を否定してくるお母さんにおびえなくてもいい。

自信をもっていいのだ。

 

すぐには買い物癖も自己否定も収まらないかもしれないけれど、

去年に比べたらずいぶんと自分をコントロールしてお金を使えるようになってきました。

だからそんな自分を称えて、認めて、抱きしめて。

明日も生きてゆこうと思います。

2月12日

はじめに

 

blogなんて大学生時代に書いていたmixiの日記以来で、何か書きたいという欲はいつもあったけれど、なんだかブログを書くことは承認欲求が満たされないことを掲げているようで恥ずかしいという気もして(もちろん私の勝手な思い込みですが)ずいぶんと遠ざかっていました。

けれど、最近いろいろな経験をしていろいろと考える中で、物を書いて思考をまとめることは大事だなと思い、またブログを書こうと思っています。

自己満足でしかないブログだろうけれど、この先の自分の指針になれば。

 

最近考えていること

 

・欲を持つことは悪いことではない

「欲を持って生きることは悪いことだ」といつからか思うようになって、自分よりも他人優先、神社で願うのは世界平和、個人のことなどお願いしません、な人生でしたが、ある日ふと気が付く。

「私の好きなもの、やりたいことってなに?」

まったくわからない。自分のことがまるでわからない。

そこから本を読んだり人に話しをたり、その他にも自分の家庭の問題に取り組んだりしている中で自分にないと気が付いたことは「欲を持つ」こと。

ああなりたい、こうしたい、といった欲がすべて抑制されて思い描けなかった。

そうなった原因は自尊心のなさと自分の軸がなかった所為かなぁと自分では思っていて、そこを修復しようとコツコツ取り組んでいます。

その中で思ったのだ。

「よりよく生きよう、好きなことをして生きよう、そう願うことは決して悪いことではない」と。

そしてそれを自分に許可できるようにしていこうと。

その日から少しずつ未来に対して希望を持てるようになったし、

「自分のため」という気持ちを持ているようになってきました。

過ぎた欲であったり、人を傷つけるような欲はどうかなと思うけれど、

自分が楽しく生きるための欲は必要だしあっていいのだろうな。

 

私は、楽しく自分らしく生きてゆきたいです。そして、そう生きてゆこうと思います。